閃の軌跡編

8


制服が夏服に切り替わり始めたころ。帝都方面では夏至祭の準備が執り行われているが、トリスタは特に普段と変わりがなかった。一応、学院も夏至祭当日は休みのようで、祭を見に行こうと浮かれている生徒はいるが。
「ブリジット。どうかした?」
その中で、クラスメイトが気落ちしているのが気になった。同じ男爵家の子女で、入学時から仲良くしてくれる人だ。
……」
「だいぶ前からなにかで悩んでいる様子だけど……何かあったの?」
「その、実は……」
ブリジットは貴族ではあるが親の方針もあり、平民に対してとくに偏見を持ち合わせてはいない。それもあって、部活動でもよく他クラスの人と一緒にいるのが見受けられた。
「日曜学校からの友人がいるのだけれど、彼の様子がなんだか……」
「喧嘩でもしたの?」
「それがわからないの。私になにか非があれば言ってほしいんだけど。それでね、さっき生徒会の人にお願いしたの。彼が何を思っているのか聞いてほしいって」
「へぇ。」
生徒会?確かにトワ会長がそういった生徒からの依頼を取りまとめていたはずだけれど、思えばそういった業務はあまり回ってこない。無論、事務的なものや学院全体に関わることはやっているけど、個人相手のものは誰かがやっている様子はなかったような。
「だけどちょっと心配になっちゃって。大丈夫かしら、リィン君」
「……リィンなら、大丈夫じゃないかしら」
そこでまさかのリィンの名前に少し言葉が詰まった。生徒会の手伝いをしてくれているとは聞いていたが、そういったことをやっているとは知らなかった。
「ブリジット!」
「あ、アラン」
そうこうしている間に後方から1人の男子生徒が駆けてくる。おそらく彼女が気にしていた人物だろう。私のことは気にしないで、と手を振って少しその場を離れることとした。



「姉様。」
「エリゼ?え、なんでこっちに来ているの?」
帰り道、ふと校門近くに見知った姿があった。アストライアの制服を着た妹。現在時刻はすでに夕方であり、おそらく向こうも学校終わりなのだろうが。手紙のやり取りもしているし、先月もあったばかりだ。ということは要件は私というよりも
「兄様は現在、どちらにいらっしゃるでしょうか」
「寮にいなければ学院内だと思うけれど、案内しましょうか」
「ええ、お願いします」
さすがに部外者のエリゼを1人で学院に向かわせるわけにはいかない。生徒と一緒であればそこまで問題にはならないだろうと、再び学院内に戻ろうとすれば、ちょうどよいタイミングか、校門に向かって歩く集団があった。夏服になってわかりにくくなったとはいえ、ネクタイの色でどこに属しているかだけはわかる。
「__兄様」
「え___」
Ⅶ組が雑談している最中に、エリゼが前に出た。リィンと、後方にいるⅦ組が少し驚いた表情を見せる。
「……女の子?」
「あの制服は……」
「エリゼ……!?どうしてここに……」
「えっ……!」
「ひょ、ひょっとしてリィンの妹さん!?」
「あ、ああ……」
「でもエリゼ、こんな時間にいったいどうして……」
慌てるリィンに対して、普段より低い声色が返ってくる。少し機嫌が悪いか、リィンに対して怒っているようだ。
「__ご自分の胸にお聞きになってください。」
「え」
「___お初にお目にかかります。リィンの妹、エリゼと、申します。お帰りのところ恐縮ですが……少々、兄を借りて宜しいでしょうか?」
有無を言わさない言動に、Ⅶ組も思わずうなずいた。許可をとるというよりも、問答無用といった感じか。それを見て思わず笑ってしまう。
「あ」
「貴族の制服……」
「エリゼ、リィン。屋上あたりはどうかしら。今の時間、人はいないでしょうし。」
声をかければ、それでこちらにも気が付いたようだった。そういえばまだⅦ組とはしっかり話をしていなかったか。
「Ⅱ組。・シュバルツァーです。門限までには、お返ししますね」

「ふう……それにしても久しぶりだな。実際に会うのは半年ぶり…… いや、7か月ぶりになるか」
本校舎の屋上。エリゼがリィンと一対一で話したがっているようだったので、私は少し離れたところからそれを眺めていた。先月リィンが会いに来てくれないとエリゼから相談を受けたばかりだったが、兄妹で7か月振りなのはちょっとどうだろうか。いや、私もジェニスにいたころは何年もこっちに戻ってきてないのだけれど、そこは物理的な距離の問題もあるので許してほしい。
「……ええ。去年の暮れ、私がユミルに帰ったとき以来になりますね。春、兄様がこちらに入学してから会える機会はあったはずなのに。姉様は何度か来てくださっていたのに。」
「いや……その、悪かったと思ってるよ。とにかく忙しくて…… それに女学院の外出許可なんて簡単には取れないんだろう?」
「それとこれとは話が別です。トリスタから帝都まで鉄道を使えば30分ほど…… 中央駅から女学院のある地区まで導力トラムを使えば20分程度…… 妹の顔を見るのにその程度の時間すら割けないほどお忙しかったという事ですね。」
「__悪かった!それに関しては本当にすまない!実習や試験で忙しかったのは確かだけど……その気になれば会う時間くらいは作れたはずだし。でも……」
話を聞いていると、ふと気配を感じて入り口の方に目を向ける。ちょうどリィンたちからは死角になっているところに、先ほど一緒にいたⅦ組の面々がいた。向こうもこちらに気が付いたようで、ちょっと申し訳なさそうな表情を見せたので気にすることはないと手を振っておく。
「でも、何ですか?」
「いや、その…… 年末会った時によそよそしかった気がしたからさ。男兄弟がうっとうしくなったのかとつい遠慮したというか……」
「よ、よそよそしくなんてしてません!あれはその、ちょっと個人的な事情があったというか……」
「個人的な事情?」
「と、とにかく!私が兄様をうっとうしいと思うなんてありえませんから!ええもう、空の女神に誓って天地が引っくり返ってもないです!」
「そ、そっか……なら嬉しいけど。今度は、時間を作って帝都にエリゼの顔を見に行くよ。今回みたいにそっちが遊びに来てくれてもいいんだし。」
「ほ、本当ですかっ!?___コホン。ええ、そのくらい兄妹としては当たり前の交流ではないかと。」
「はは、そうだな。そういえば、それを言いにわざわざこんな時間に来たのか?それにしては問答無用というか、有無を言わせない感じだったけど。」
「兄妹の交流の少なさももちろん大問題ですが……私が今日訪ねた主な理由はとうぜん別にあります。__どうやら本当に自覚が無かったみたいですね。」
「え」
エリゼはそっと1枚の紙を渡す。遠目からなのでわからないが、おそらく手紙だろうが。
「それは……この前俺が送った手紙か?あ、そうか。ノルド高原に行ったときの土産を受け取りに来たのか?一応、現地の可愛らしい装飾品を買ってあるんだが……」
「ほ、本当ですか?___じゃなくて!手紙の最後の部分です!」
「あ……」
「“そうでなくても家を出る”ってどういうことなんですか……?父様と母様に親孝行って……どうして改まって言うんですか?」
「……」
「まさかとはおもいますけれど……家を継ぐつもりがないとか、そんなわけありませんよね……?」
「__そのまさかだ。俺はシュバルツァー家を、男爵位を継ぐつもりはない。」
「!!」
「当然のことだろう?そもそも俺は養子で、血のつながりなんてない。かお前が、婿を取って男爵家を継ぐのが筋のはずだ。それに関しては、も了承しているし、士官学院ではそのつもりでお互いに動いているつもりだ。」
___そう、了承はした。トールズに入学する前のことだった。リィンが継いでもいい、というスタンスは崩すつもりはないが、まぁ今の現状では継ぐつもりがないのも分かっている。だからこそ、“長子”であることを強調してきた。
「そ、そんなのおかしいです!たとえ血の繋がりがなくともシュバルツァー家の男子は兄様ただひとり……帝国法でも、養子の家督相続はちゃんと認められている筈です!」
「それは大抵、引き取られた子が“しかるべき血筋”だった場合だ。……俺は違うだろう?」
「……あ……」
「12年前__ユミル領主である父さんが拾った吹雪に埋もれていた“浮浪児”……自分の名前以外は覚えておらず、どういった出自かもわからない……そんな子供を養子として迎えたばかりに父さんは社交界のゴシップの的となった。常識外れの酔狂だの、よりにもよって“隠し子”だの……『高貴な血を一切引かぬ雑種を貴族に迎えるつもりか!』なんて難癖をつけた貴族もいたらしい。そして父さんは、そういった雑音が疎ましくなってしまって___ユミルから出ず、滅多に社交界に顔を出さなくなってしまった……」
「……」
「これ以上、俺はシュバルツァー家に迷惑をかけたくない。さすがに貰った姓まで返すのは難しいだろうけど……それでも、お前たちの将来に迷惑をかけるのだけは避けたいんだ。来年は16歳___社交界デビューの歳だろう?も1年遅れで今年デビューする。」
「……!」
「だから、どうか分かって欲しい。……家を出たとしてもユミルにはたまに顔を出すつもりだ。父さんと母さんにだって育ててもらった恩はずっと___」
リィンの気持ちがわからないわけではないが、まあエリゼが望んだ返答でも、内容でもないだろう。ただリィンは本心からそう思ってしまっているから、今現在こうしてエリゼとぶつかっているのだけれど。
「……分かってない。」
「え」
「兄様、ぜんぜん分かってない……父様の気持ちも……母様の気持ちも……わたしの気持ちも……」
「エリゼ……?」
「兄様のバカッ……!朴念仁!分からず屋!大っキライ!!!」
「……あ……」
エリゼが子女らしからぬ大声をあげて屋上から姿を消す。さすがに土地勘もない妹を1人にするわけにはいかず。
「悪いんだけど、リィンのこと頼みます」
Ⅶ組にリィンのことはひとまずは託して、私はそのままエリゼを追いかけた。



「パトリック!」
「うお!?って、なんだ、・シュバルツァーか」
「悪いのだけれど、今は相手をしている時間がないの。聖アストライア女学院の制服を着た人を見なかったかしら」
「え、あっ!そうだ!」
誰でもいいから聞いておこうと思って、目の前に現れたパトリック・ハイアームズに声をかける。驚いた声を上げた彼ではあったが、アストライアの単語を出すと、慌てた表情を見せ、旧校舎への方向へと走り出す。
「ちょっと!」
「君の妹君だろう!?先ほど向こうに走っていったんだ!」
「ええ!?」
彼の言葉を聞いて、そのまま駆け出す。基本旧校舎は鍵がかかってはいれないはずではあるが、そちらに向かっても人影はない。
「くっ、どこに行った……」
「人影はないけれど、どこに……」
「パトリック!」
彼とともに周囲を探していると、後方から声が聞こえ、2人分の足音がした。そこにはリィンと、緑服の、おそらく先輩だろうか。トワ会長と話している姿をみたことがある人がいた。
「お、お前……」
「おい、エリゼはどうした!?まさか俺の時みたいに絡んで恐がらせたんじゃないだろうな!?」
おう、シスコン。いや、まぁどういう情報提供を受けたかは知らないけれど、反発した彼が関わっているかも、と思ったらそう行動にでるか。まったく、お互いにお互いが大切なのに、うまく言動に表せられないのだから、どっちも不器用なことで。
「そ、そんな事はしていない!僕はただ、彼女が涙ぐんでいたからどうしたのかと声をかけただけで……そしたらこっちに走って行ったので心配になって追いかけてきただけだ!」
「前半の真偽はわからないけれど、追いかけてくれたのは本当よ。」
も……?」
「どうやらこっちの方に来たのは間違いなさそうだな。お前らが毎月探索してるっていうその旧校舎はどうなんだ?」
「いや、ちょうど先ほど扉を施錠したばかりですが……」
エリゼに鍵を壊す力はない。ピッキングももちろんそんなこと考えつかないだろうけれど。旧校舎周辺に気配はない。ただ探していない場所は、と聞かれればここくらいなわけで。
扉に近づいて、ゆっくりと押してみる。普通だったらあかないはずではあるが、その扉はゆっくりと内側へと開いていった。

2021/2/13

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