手に触れる七題

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「とーまくーん?いるー?」
仕事を終えて、事務所の扉を開ける。開けてから、誰の声もしないことに気が付いた。いつもならここで賢君あたりが声をかけてくる。またはほかの所属しているアイドルか。不思議に思いながらも事務所の中へと入っていく。全員で40人近いアイドルがいる事務所なのに、ここは狭くて全員が入れそうにない。そんな狭さの事務所で、人1人いないのは珍しいことだ。
とりあえずいつもいるソファの場所に荷物を置こうと思っていくと、そこにようやく人影が見えた。どうやら目的のソファで寝ているようで、声が聞こえないのはおそらく寝ているからだろう。いつもは僕が寝ているんだけどなぁ、と思いつついくと、そこに寝ていたのは目当ての人物である天ヶ瀬冬馬だった。
冬馬君と出会ったのは、この315プロではなく、961プロという大きな事務所だった。姉が勝手に申し込んだ後、気が付けばスカウトを受け、そこで出会った。それから事務所脱退とかいろいろなことがあったけど、それでもずっと一緒にいる。冬馬君はテレビじゃ人当たりよさそうな、かっこいいイメージで売ってるけど、実際はメンバー1熱血で、僕や北斗君を引っ張る役割だ。だからリーダーができるのだろうし、そしてJupiterがなりなっているのだろう。ダンスは僕よりも劣るし、ビジュアルはモデル経験のある北斗君に劣る。でもそれはわずかな差だし、歌唱力はトップだ。そしてどんなことにも妥協という言葉はない。本番も、レッスンも、何一つ手を抜いたことはない。どれにも本気で、僕はそんな冬馬君についていく。
961プロを抜けると決めたとき、Jupiterを解散させる、というのも1つの手だった。その場合、僕と冬馬君は前のように学生に戻るだけだし、北斗君は学生になるか、モデルになるかのどちらかだった。僕と北斗君は、黒ちゃん、黒井社長のしていることを最初から知っていた。知らなかったのは鈍感な冬馬君だけだった。僕は黒ちゃんがやっていることによって、アイドルとして上に立てるならいいと思っていた。実際、どうしてもアイドルになりたいだなんて思ってもいなかったし。765プロのことも特になにも思ってなかった。けど、冬馬君が裏でやっていることに気が付いて、そして自分たちの実力で這い上がりたいと思っていた彼は、961プロを抜けた。ついていかないという選択肢もあったのに、いまもこうして、今度は315プロで、Jupiterとして変わらずアイドルをしている。
315プロには多くのアイドルがいた。といっても僕たちが315プロに来たときはまだ全員候補生だったけど。一番下は子役モデル、一番上は先生。中には警察とか、茶道家とか、いろいろな場所で活躍していた人がいた。961プロにはいない、初めての後輩だった。年齢は上でも、アイドルとしては後輩。それがどこか不思議な感じがしたけれど、冬馬君はそんなこと関係なく皆をひっぱてるし、北斗君も、おなじ。僕だけが、まだ2人に甘えている。まぁ?僕は弟ポジションだからそれでもいいんだろうけど……
「……ん、」
ごろんと、ソファの上で冬馬君が寝ころんだ。同年代よりも大きい僕よりも大きいから、ソファはきっと狭い。なのに落ちることなく、眠っている。
きっと疲れているのだろう。ライブ、ドラマ、テレビ、ラジオ、さまざまなメディアに、Jupiterとして、そして天ヶ瀬冬馬として出ている冬馬君は、僕や北斗君よりもスケジュールが詰まっている。いつもなら待ち時間はファンレターか台本を読んでいる冬馬君が寝ているのだ
それなのに、疲れた、とういう言葉も出さず、レッスンにも真面目に参加して。僕には到底まねできない。ほんと
「さすが冬馬君だよねぇ」

未だ伸ばせない十センチ
(とーまくんには、きっとこれからもかなわない)

2016/03/19

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