もうひとり

B

「おお!ずいぶんとでかくなったな!」
空を飛ぶ巨大な影を見やり、声を上げる。しかし、その声に気がついているのかいないのか、こちらには見向きもせず、遠くの山へと飛んでいった。過去見たことある姿とはまったく違う其れは、これまで見たものよりも巨大で、強い穢れを放っていた。
殺り合ってみたい。
背に抱えた刀に手を添えて、手を離した。
「これは俺のやることじゃないな」
今では霊峰レイフォルクと呼ばれている山の方へと、視線を向ける。その先には、先ほどの奴がねぐらにしている場所がある。時々奴はねぐらを離れて、空を飛び回っていた。そこに、意思はあるのだろうか。
ドラゴン。破滅の使徒と呼ばれている其れは、実在するどの生物よりも巨大な図体で人を襲う。それは唯の人間では太刀打ちすることさえできない。ただただ、ドラゴンが人を、街を、村を、国を襲うのを見ているしかない。ドラゴンに意思はなく、ただ破壊を繰り返すだけ。
それでも、ドラゴンになる前は、意思を持ち、自分自身で行動を決めていた。それが、穢れによって一瞬で意思のない怪物へと成りはてる。そのことに、普通の人間であれば何を考えるのだろうか。すでに人の心を捨てたものには、到底わかり得ないものだ。
1つだけ、わかっていることもある。それは奴が、自分の死を望んでいるということだ。否、正確には死を望んでいるのではない。奴に縛られるものがいることに、耐えられないのだ。
ドラゴンになってしまった自分の存在に、縛られ、身動きがとれず、朽ちていくことを、たった1人愛した女にして欲しくないのだ。そして、意思のない自分が、女を傷つけたくはないのだ。
殺しは、奴にとって救いになる。
そしてそれは、俺の強い奴と殺り合いたいという欲望にも一致する。が、生憎人の心を捨ててはいるが、奴の流儀と真名を使用した約束に首を突っ込むつもりはない。今振り返れば短い期間ではあるが共に過ごし、多少は奴のことは知っている。一緒に心水の飲み比べやら勝負やらをした仲だ。
「だがまぁ、残念だ。今度からはかの心水は俺だけでいただくとするか」
いつか、あの飛んでいる姿も見えなくなるだろう。そんな簡単に倒されてはつまらんが。だがもう、これであの時代の語り手はいなくなった。永い刻を生きる者が、刻々と穢れで消えていく。だが、それも1つ。この穢れの、呪いの正体を知っているものも、そのからくりを知るものも、こうして消えていった。俺たちが消えれば、また知るものはいなくなる。そうして闇に葬られる。
「ま、俺も生きた方か。業魔は死すら知らず、ってか」
今代の災禍の顕主が消え、ほどほどに浄化された世界。しかしそれもいつまで続くか。長いかもしれないし、一瞬かもしれない。それはわからん。だがまぁ、好きなようにするだけだ。これまでも、そしてこれからも。
「達者でな、アイゼン」

2018/03/25

アイゼンがドラゴンになった後も、ロクロウは業魔として生きているだろうか。もし生きていても、アイゼンを殺しには行かないだろうなと思って。それはアイゼンとザビーダの約束だから。



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