ゆらりゆらり

D2

ゆらり ゆらり
水面が揺れ、遠くで進む帆船が見られる。そんな海の浜辺にて、1人の少年が横たわっている。少年は目を開けることなく、その身の半分を水に沈めている。
近くに人はない。あるのは小さな墓石と添えられた花だけだった。
少年の身にまとっているマントが、水を吸い、身体を濡らしていく。波によってマントが動いた。紫、どちらかといえば黒に近いそのマントには、同化していて見にくくはあるが、赤黒い、血の色が付いていた。
少年がなぜそこにいるのか。おそらく少年でさえも知らない。けれど、ある事実を知っているものであればこういうだろう。奇跡だ、と。
さく、さくと砂のすれる音がした。ゆっくりと、その音の正体は少年へと近づく。しかし、少年は目を開けることなく、砂浜に体をゆだねている。音の正体は、少年のそばまできて、膝を砂につけた。そうしてから、少年の身体は砂浜から離れた。波にさらわれそうであったマントが、今度は砂浜に落ち、砂によって汚れていく。自身の服がぬれていくことを気にすることなく、音の正体は、女性は少年を抱きしめた。


とある世界に、1人の少年がいた。まだ16歳の、幼い少年だ。少年は当たり前のように剣を振るい、時には人にも剣を向けた。人を殺めたこともある。少年は、ずっとそこにいた。声にならない悲鳴を上げながら。ずっと。
少年はある日一振りの剣を手に入れた。父から渡された、最初で最後の贈り物であった。少年に合わせられたわけではない、されど少年にとってはしっくりと来る剣であった。少年はその日から、その剣を手放したことはなかった。毎日の手入れは欠かさず行い、魔物にも、人にも剣を向けた。剣としてであれば使い方は全く間違ってはいない。しかし、少年はそれをした後、鞘にしまった剣を優しくなでるのであった。少年にとって、初めての友であり、同志の誕生であった。
少年はある日1人の少女と出会った。少年よりもいくつも年上の女性であった。黒く長い髪をなびかせた彼女に、少年の目は釘づけだった。少年は物心をつく前に母を失っていた。無意識であっただろう。少年は彼女を母親的存在にしていた。ただの立場であれば、少年の方が上であった。彼女は少年を叱ることもあれば褒めることもあった。他の者からしてみれば咎められる行為であったかもしれない。しかし、少年はそれで満足していた。
少年の世界は限られていた。一振りの剣と母親的存在の少女。少年はその2人だけが心の支えであった。2人がいればそれでよかった。
ある日、少年はとある者たちと出会った。少年よりも幾分か年上の少年少女であった。少年か彼らの上司として、ともに活動することとなった。幾度と少年をイラつかせながらも、彼らは少年に手を差し伸べていた。しかし少年はその手を、取ることはなく。上司としての役目を終え、のちに敵対して現れた後も、信じて手を差し伸べる彼らの手を、少年は振り払った。
少年は淋しい人間であった。母は幼き頃に亡くなり、父には手ごまのように使われ、姉とは剣を向け合った。家族の温かさは、一振りの剣と彼女が代わりを務めていたが、それでも少年は、淋しい人間であった。
少年はある時、彼らの面影を持った同年代の子供と出会った。子供は無邪気に、そして純粋に、されど心の中にはしっかりとした意志を持っている者であった。少年は子供の背景に、敵対した彼らの1人と、姉を、思い浮かべた。子供の、彼と同じ表情を浮かべながら差し伸べられた手を、いつの間にか少年はとっていた。
少年の周りには、子供のほかに多くの者がいた。子供を慕う者、子供の兄のような者、子供らと似た境遇の者、出会うことはないはずの過去の偉人。どれも子供を中心にした集まりではあったが、その者たちは、子供だけではない、少年にも手を差し伸べた。
少年は彼らの手を取れなかった。取りたくとも、少年の周りには見えぬ鎖があった。その鎖が、少年を縛っている。しかし、子供らに手を差し伸べられたとき、その鎖は消えていた。子供は初めて、仲間というものの一員となった。

世間は少年を裏切り者という。しかし、彼らは少年を仲間という。そして子供らもまた、少年を仲間というだろう。少年の周りには多くの友がいた。仲間がいた。そのことに少年が気が付いたころには、少年の悲鳴は消えていた。



「エミリオ」
「……なんだ」
「エミリオ」
「だから何だと言っている」

後方からかけられる声に、少年は振り向きもせずに答える。しかしその声がそれ以外を発することはなく、少年はしびれを切らし、後方を向いた。少年の口は、何かを言おうとして止まった。目の前の声の主はもう1度、同じ言葉を言った。

「エミリオ」

少年はその言葉に一度溜息をつくと、声の主の目を見ていった。

「なんだ、……姉さん」

少年の身体がぬくもりに包まれる。少年はそれから逃れようと身体をよじった。しかしそのぬくもりは消えることはなく、頬に落ちた水を感じてからは身体をよじることをやめた。そしてそのぬくもりに対して、手を、差し伸べた。

2015/2/25

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