注意:うち本丸設定山盛り。
長谷部&不動回想ネタバレ

「出陣命令?」
「ああ。それで君たちを探していたんだ。」
馬小屋の一角。2部隊分以上の馬がいるこの小屋では、それぞれ遠征や出陣の命が下りていない刀剣たちがそれぞれ協力して内番に励んでいた。この馬小屋のほかにも、畑や厨など、多くのところでこの本丸の維持のために働いている。
馬小屋にひょっこりと顔を出した鶴丸国永は、馬にてこずっていたへし切長谷部へと声をかけた。へし切長谷部の訝しげな返答に、なにがあったかと後方から馬糞の入ったバケツを持った薬研藤四郎が近づいてきた。
「よかったじゃねぇか。ここ最近、新参の出陣ばっかりで退屈しているって言っていたしな」
薬研藤四郎の声に、へし切長谷部の眉がよった。鶴丸国永はそれを一瞥しながらも気にした様子は見せず、にっこりと笑って見せる。
「それはよかった。さて長谷部、それと薬研」
「うん?俺か?」
まさか自分に?といった様子に薬研藤四郎は首を傾げた。それに鶴丸国永はうなずく。
「ああ。君たち2振にだ。着替えが済み次第、第3部隊部屋に集合してくれ」



「あ!へし切!」
「長谷部だ。……なんだこの面子は」
「お疲れ様。長谷部くん。」
へし切長谷部が第3部隊部屋を開くと、そこには見知った刀剣の姿があった。その姿をみて、あからさまに嫌な顔をするへし切長谷部にたいして、その部屋にいた刀剣の1振がなだめるような声をだした。
「それで?今回の出陣はこの面子ですか」
部屋の中にいた刀剣の1振、宗三左文字が言葉を発する。この時点で薬研藤四郎も合流をはたし、この部屋には5振の刀剣がいた。
「その通り!」
廊下から、バタバタという音が聞こえたとともに、鶴丸国永が顔をだす。手にはおそらくこの本丸の主からであろう巻物を持っていた。
「全員そろっているな。今回の第3部隊はへし切長谷部、薬研藤四郎、宗三左文字、不動行光。そして第1部隊から燭台切光忠と、俺、鶴丸国永が合流し、6振で出陣となる。」
鶴丸国永はすっと全員の顔を眺めたあと、巻物を全員に見えるように広げた。
「今回出陣するのは天正10年、京都。現代の歴史においていうなれば、本能寺の変だ」



本能寺の変。歴史を学ぶ者で知らない者はいないほど有名な出来事だ。天下統一目前であった織田信長が明智光秀に裏切られ、焼けた本能寺で自害した。刀剣男士にとっては人の歴史など時の流れのほんの一握りではある。しかし、切り離すことのできない歴史でもある。特に、今回の部隊においては。
「それで。今回の時間遡行軍の目的はなんだ」
本能寺が視界に入る人気のない林の中へと刀剣男士たちは身を潜めた。短刀であり索敵が得意である薬研藤四郎と不動行光が周囲を警戒しながら、時間遡行軍の捜索を行っていた。そんな中で、へし切長谷部は今回の隊長である鶴丸国永へと問う。鶴丸国永は本能寺を眺めながら、ふむ、とつぶやいて。
「しらん」
「……はぁ?」
鶴丸国永の言葉に、へし切長谷部は隠さず不機嫌な声をだす。他の刀剣男士も話を聞いていたからか鶴丸国永を凝視した。
「いや、一応大まかな想定はされている。“織田信長の生存”だ」
「魔王の、生存ですか」
鶴丸国永の言葉を、宗三左文字は言い換えた。言い換えたところで、それが誰を示すかはなにも変わっていない。ここにいる刀剣男士は全員、織田信長にそれぞれ別のものを見ている。
「……さて、行動を開始しよう。悪いが、今回の歴史については君たち織田の刀であった君たちの記録が重要になる。探索もできれば円滑に進めたい。よって、今回はさらに2部隊に分ける。光坊、長谷部と不動を連れて先に本能寺へと向かってくれ、俺と宗三、薬研は周囲の捜索をしてから合流する。時間遡行軍を見つけたら殲滅を。この時代の人間に気づかれないように、な」


「鶴さん。本当に今回の出陣、なにも言わないの?」
「ああ。言ったところでなにかが変わるわけでもない。俺たちの目的は、時間遡行軍を倒すことだ。ただ、」
「ただ?」
「……しょせん元主、されど元主。今代の主のために、成長してくれることを願うだけさ」



「ああ……ああ……ここは……!」
本能寺。いまだそれは火にまかれることはなく、ただそこにあった。現代においてはすでに焼失し存在しないそれは、まるでこの時代の象徴かのように堂々と、そこにあった。それを見て、不動行光は声を上げた。そんな彼を、へし切長谷部は静かに見つめた。
「落ち着けよ。もはや俺たちにできることはない」
へし切長谷部の言葉に、不動行光は感情をあらわにして近づいた。まるで、燃えてもいない本能寺を目にして、これがすでに、焼け落ちたものであるかのように。
「……お前は! お前は、信長様がどうなってもいいと……!」
「どうでもいいね。お前と違って、俺は捨てられた身だ。いい気味だとすら思っている」
へし切長谷部は本能寺を眺めながら、その目は本能寺の中にいるであろう織田信長をみていた。今は本能寺の変の前日。おそらく織田信長は茶会にいそしんでいるのであろう。
「……話した俺が、馬鹿だったよ……」
「人の生は歴史の流れからすると一瞬だ。生まれたらいつかは死ぬんだよ。織田信長も例外じゃなかったってだけだ」
その言葉に、不動行光は織田信長のある言葉を思い出した。言っていることは同じであるのに、へし切長谷部はきっとそれを認めない。
「……お前は、信長様のところにずっといるべきだったのかもな」
ぼそりとつぶやいた言葉を、へし切長谷部の耳は聞き逃すことはなく
「ははっ。二度とごめんだね。俺の主は、今の主さ」
燭台切光忠はそんな2人の会話を聞いていた。だからといって、口をつっこむほど無粋ではない。燭台切光忠もまた、本能寺を眺めた。記録も、記憶もほとんどないが、燭台切光忠も、織田信長の刀であった一説があった。おそらく、その縁で今回の部隊配属になったのだろうと、燭台切光忠は考えていた。今回、隊長にあてがわれた鶴丸国永も、その説がある。だからとって、鶴丸国永はともかく、燭台切光忠という銘を戴いたのは伊達政宗の時代であるため、この時代ではただの光忠だった。その影響もあるのか、ほとんどこの時の出来事は知らない。
「……さ、周囲に時間遡行軍がいないか偵察といこう。不動君。よろしくね」
「お、おう……」
不動行光はふるふると首を横に振って、意識を切り替えると外壁へと駆け上り、さっと姿を消した。短刀の隠密は、太刀である燭台切光忠や打刀であるへし切長谷部では真似ができない。その代わり、戦闘能力や打撃に関しては2振のほうが勝る。
不動行光が2振の視界から消えて、へし切長谷部は燭台切光忠へと向き直った。
「それで?今回は何を企んでいるんだ」
「ええ?心外だなぁ。」
にらみつけるへし切長谷部を、燭台切光忠は困ったように見つめた。
「お前たち1軍が関わるとろくなことにならん。」
「あはは……僕たちだって、好きで特殊任務しているわけではないけどね」
そう答えたところで、へし切長谷部の疑心の視線は止まなかった。しかし燭台切光忠は口を開かなかった。へし切長谷部も負けじとにらみつけるも、口を割らせるには至らなかった。
「おぉーい。戻ったぞぉ」
「……まぁいい。必ず喋ってもらうからな」
不動行光の帰還で、へし切長谷部は燭台切光忠から視線をそらした。燭台切光忠はそのまま視線を不動行光へと送る。
「おかえり。どうだった?」
「歴史修正主義者の気配はなかった。まだこっちには来ていないのかも」
「うーん。鶴さんたちの合流待ちになるかな。身を潜めるところを探そうか」
燭台切光忠の先陣のもと、3振は外壁から、本能寺から離れていく。織田信長がいるにしてはやけに静かな本能寺を、へし切長谷部はまるで懐かしむように眺め、そして踵を返した。



「どうだったかい?薬研」
「明智光秀は亀山城を出立したようだ。遠目だから明智光秀がいたかはわからんが、あの大軍はまちがいないだろうよ」
森林において隠密をしていた鶴丸国永と宗三左文字のもとへと、偵察に向かっていた薬研藤四郎が戻ってくる。本能寺の変が起こるのは6月2日。そして明智光秀が亀山城を出立するのはその前日。今のところ、歴史自体に変化は見られない。
「俺たちはこのまま明智光秀の軍に変化がないか様子を見ながら本能寺へと赴くことにする。」
「よいのですか。長谷部たちと合流しなくて」
宗三左文字がそう進言すれば、鶴丸国永はあーと歯切れの悪い返答をした。
「別に合流してもいいんだが……」
「だが?」
「君たちはいいのかい?本能寺に、いい思い出はないだろう?」
鶴丸国永の言葉に、2振はまさかその言葉がでるなんて、と目を丸くさせる。
「なに言ってるんだか。俺たちは戦いに来てるんだ。そういった心情は二の次だと思ったんだが?」
「まぁ確かにな。だが、その心情に振り回されるのが、今の身だ。」
まるで経験したかのように、まるでみてきたかのように、鶴丸国永はそういった。確かに、と薬研藤四郎がうなずく横で、宗三左文字はゆるりと視線を地面へと向けた。
「……よい思い出は、ありませんね。魔王、信長……」
「俺はそんなに悪い思い出とは思ってないな。信長さんはま、常識人だったし」
正反対のことをいう2振に、鶴丸国永は目を細めた。当時の人間にも、未来の人間にも、そして道具であった刀剣男士たちに、さまざまな視点で語られる織田信長という人物は、この時代の歴史において最も有名で、そして最も愛されているのかもしれない。当時の人間からは尊敬と畏怖、未来の人間からは憧れと好奇心、そして刀剣男士からは。様々な感情を抱かれている織田信長とは、いったいどのような人物なのだろうか。きっとその人物像も、見る視点によって違うのだろう。
「魔王は今川から僕を奪い取って磨上げて刻印をしながらも使いもしない。結局、ここで僕も、そして薬研も燃えることになる」
「そうだな。俺はここで燃えて、そのまま現存しない。けど宗三は違うだろ?」
「戦乱の世が明け、結局また、魔王の元にもどってしまった。」
「京都の建勲神社か。織田信長が祭られているんだったな。」
本能寺の変のあと、宗三左文字は徳川家に最終的に受け継がれ、建勲神社が建てられた際にそちらに奉納された。織田信長が祭られている神社に、というのは宗三左文字からすれば思うところが多くあるのだろう。
「僕はいつまでも、魔王に縛られているのです……」
宗三左文字はそういって本能寺の方角へと視線を向けた。明日になれば、その方向に炎の柱が立つ。
「まあ、こうやって心情に振り回されるのも、人の身を得たからこそだ。しかも今回はその心中である織田信長関係だ。」
「それじゃ、なおさら長谷部と不動があっちにいるのはまずいんじゃ?あの2振も、信長さんには一等の想いがある。しかも、真逆のな」
へし切長谷部と不動行光。お互い織田信長から別の主へと譲渡された刀。しかしその心情はまったく違う。それのせいであまり相性が良いわけではない。といっても、何十もいる刀剣男士だ。相性の良し悪しは誰にでもあるが。
「あの2振はわかりやすい。だがどっちも素直じゃない。そういうやつは力ずくが一番なのさ」
「荒治療ってやつか」
「ま、そういうことだ。さて、申し訳ないが夜の俺は鳥目だからな。桂川、だったか?そちらのほうへと先に赴くとするか」
「太刀は夜戦に向きませんからね……」
鶴丸国永の言葉で、がさがさと3振は行動を開始した。本能寺の変は朝方に起こる。よってその準備のための進軍は夜間に行われていた。夜戦に向いている短刀や夜も目が効く打刀はともかく、太刀は夜は不利だ。そのこともあって太刀である鶴丸国永は日が暮れる前の進軍を希望し、2振はそんな隊長の指示に従った。


そして、明智光秀の軍が桂川を超えたところで夜が明け、その後本能寺の包囲網を完了した明智軍の攻撃によって、本能寺の変は幕を開けた。



「いやはや、本能寺の変が始まった瞬間に時間遡行軍が出てくるとはなぁ!」
明智光秀らが本能寺入りを果たしてすぐに、薬研藤四郎と不動行光それぞれが時間遡行軍の気配を察知、人がいない建物の隙間を縫いながらの交戦が始まった。いまだ、鶴丸国永と燭台切光忠の組は合流を果たせていない。お互いがどこにいるのかもわからないまま、敵を切り伏せる。練度は全く不足していないこともあり、各個撃破においてはさほどの苦労はない。ただ時間遡行軍は6体ではなく、何十体と送り込まれている。さらに刀剣男士側はできるかぎりその時代の人間に見つからないように行動することを余儀なくされている。歴史を守るために戦っているのに、その存在がばれてしまっては歴史にどんな影響があるかわからない。刀傷1つで歴史が変わるかもしれない。そのため思う存分に戦う、というわけにはいかない。
「どうすんだ!?ここで止まってる暇はねぇぞ!?」
よっと壁を駆け上がり、重力を味方につけて敵を押しきる。その隙を狙ってか太刀が刀を振りかぶるも、薬研藤四郎は軽やかに地面に手をついてその刀を蹴り上げた。無防備になった太刀を宗三左文字が一刀する。
「長谷部たちはなにをしているのでしょうかね……っ」
「……宗三、薬研。本能寺の中に入れ」
3振を囲む敵を眺め、鶴丸国永が声をかけた。だが、と反論しようとした薬研藤四郎だったが、鶴丸国永はかぶせるように言葉をつづけた。
「歴史通りなら、織田信長は寺に火を放ったあと本能寺内部にて自害する。俺は太刀だから奥までいくのは不利だ。だから代わりに向かってくれ。外の敵は俺が引き受ける」
その言葉に、1振にするなんて、と2振の視線が向いたが、鶴丸国永は気にすることなく敵を屠りながら声を上げた。
「行け!」
2振は視線を合わせたのちにうなずくと、踵を返して内部へと駆け出した。それを時間遡行軍が追おうとするが、それを鶴丸国永は刀によって押しとどめた。
「さぁ、大舞台の始まりだ!」



「鶴丸国永は何をしているんだ!?」
「うーん。明智軍と一緒にこっちに向かっていたのかもね。となると裏門のほうかなぁ」
一方。燭台切光忠たちもまた、時間遡行軍との戦闘に入っていた。すでに御殿に鉄砲が撃ち込まれており、本能寺全域に明智光秀による犯行であることはすでに知られている。
「なぁ!どうすんだ!?」
敵を倒しながらも、不動行光の視線は御殿へと向かっている。そこには織田信長と、森蘭丸がいる。逆にへし切長谷部はそちらの方向を見向きもしない。そのことに気が付いている燭台切光忠は苦笑しながらも刀を振るった。
「とりあえず、長谷部くん」
「……なんだ」
「不動くんと一緒に織田信長のほうに行ってもらえないかな?」
「……正気か?」
会話をしながらも敵を倒す手は止まらず。しかしへし切長谷部は訝し気に燭台切光忠を見た。それはこの数の敵を1振で対処するのか、そして重要人物に接触してもいいのか、複数の意図が含められた視線だったが燭台切光忠はにっこりと笑ってうなずいた。
「僕が行っても戦力にはならないし。まず長谷部くんたちに追いつけないし。だったら先に行ってもらったほうがいいかなって」
「不動行光だけで行かせるわけにはいかない、か」
へし切長谷部は視線を少し離れたところで戦っている不動行光に向けた。2振の声が聞こえているのか聞こえていないかの距離。なにか話しているのはわかっても、内容まではおそらくわからないだろう。
不動行光は森蘭丸の刀ではあるが、織田信長の愛刀でもあった。“不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候”と酒が入ると歌って自慢するほどの。そのこともあって、不動行光は織田信長を好いている。だからこそ、明智光秀のことは敵だと思っているし、織田信長を守れなかった自分を恥じている。その結果が甘酒だ。なお出陣中は甘酒の補充ができないのでおそらく他の本丸に比べたら素面の時間のほうが長い。それを2振も知っているからこそ、この本能寺の変が起こっている現段階において、“助けられなかった元主”のところに1振で向かわせるのは抵抗があった。状況によっては、味方を折る必要も考えなくてはならなくなるから。
「わかった。この本能寺の変で織田信長と森蘭丸は死ぬ。少なくとも、その歴史は正しくしておかなければならない。」
「うん。よろしくね」
へし切長谷部は周囲の敵を押し切りながら、不動行光のそばへとよると戦場の移動の指示をし、2振は奥へと消えていった。
「さてと。格好良く行こう!」



「上様!どうかお逃げください!」
「何を言う。これが光秀の謀叛であれば、そうやすやすと逃げおおせぬ」
槍にて1人、また1人と刺し殺しながら織田信長は森蘭丸を見る。寺の庭で身を犠牲にして戦う森蘭丸を眺め、そして周囲の敵数を簡単に数えながら、よくここまで兵を集めたと、明智光秀を心の底で褒めたたえる。ここは戦乱の世。男児であれば少なからず誰でも天下を夢見る。それに手が届くのが、今だと明智光秀は思ったのだろう。織田信長はもう1人、槍で突くと蘭丸へと声をかけた。
「蘭丸。ここは任せる。奥へは誰も通すな」
「上様!」
織田信長はそのまま、森蘭丸の声にこたえることなく、寺の奥へと姿を消した。それを追うように敵兵が寺内部へと侵入しようとするも、森蘭丸が押しとどめる。しかし、多勢に無勢。一切の手加減もなく、敵兵は邪魔をする森蘭丸へと刀を振る。森蘭丸の持つ刀が手から離れ、地へと落ちた。とっさに刀のほうへと視線が向くもその隙を見逃さない敵兵の刀が再度振りかぶられる。
しかし、その刀が森蘭丸を切りつけることはなく、逆に敵兵が地へと伏せた。
「……何者ですか」
森蘭丸の視線には、この世のものとは思えない物の怪がたっていた。物の怪は周囲の敵兵を殲滅すると、森蘭丸の前に跪いた。
「あなた方は、上様に味方するものか。」
森蘭丸の問いに、物の怪は答えない。
「……よい。これより上様の元へと向かう。上様は、ここで天下が途絶えるようなお方ではない」
落ちた刀を拾い、森蘭丸は寺の奥へと姿を消した織田信長を追うように中へと消えていった。物の怪はいつしか増え、まるで視線を合わせるような動作をしたあと、何体かは森蘭丸を追うように消え、残りはこの場へと迫ってきている敵のほうへと向き直った。



時間遡行軍を切り伏せながら進む中で、ふと怪しい動きをする敵に目がいった。多くは刀剣男士を見つければ切りかかってくるのに対し、それはまるで距離をとるように離れた。宗三左文字はその敵に視線を向け、さらにそれが持つ獲物へと視線をずらした。
「あなた、僕になにをするつもりですか」
淡々とした声が聞こえ、薬研藤四郎もそちらへと視線を向ける。宗三左文字が見ていた敵の手には今彼が持っているものと同じ刀が握られている。いや、正確には違う。しかし、銘は同じ。
「どこでそれを見つけてきたんだか」
「魔王が自決する際、僕はそばにありませんでしたが、確かにこの本能寺には在った。それを持ち出そうなど……」
たん、と宗三左文字が床を蹴る。それを遮ろうと他の時間遡行軍が間に入るも、気にもせず切り倒し、そうして“昔の自分”を手に取った。
織田信長が手に入れ、そして手放し、徳川家に受け継がれてなお、この刀身は織田信長に磨上げられてから変わっていない。いや、ここで、そして別の場所で2回焼かれたことで違いはあるが、だからといって宗三左文字であることに変わりはなかった。まさか過去の自分を手に取ることになるとは、と宗三左文字は昔の自分を見つめた。
今川から織田へ、そして徳川、最後にはまた織田信長へと再び舞い戻った自分。織田の刀、とよく言われることのある刀剣男士の中で、いまもその織田へと囚われている自分。ここで焼け、もし現存しなければ、もう織田信長という存在に囚われることはない。それよりも前、今川の刀として終えていたら、織田の刀とさえならなかったかもしれない。けれど、どれももしも、の話だ。現実はそうではないし、今も宗三左文字という刀は織田信長の元にある。そんなもしもの世界のほうがよかったのかもしれない、などと全く思わなかったと言ったら嘘になる。しかしそんな世界であったら、それは今の自分自身を否定することになる。あの本丸で、小夜左文字や江雪左文字と一緒にいる自分を。今の主の元で戦う自分を。だからこそ、今の歴史を否定し、もしもの世界を望む歴史修正主義者を敵として時間遡行軍を倒している。
「さて、当時の僕は、どこにいましたかね?」
「俺に聞かれてもなぁ。ただ、宗三を持ってたやつ、向こうの部屋から出てこなかったか?」
薬研藤四郎はそういって先導するといくつかの部屋を開けて回った。そうして刀掛けを見つけると宗三左文字へと視線を向けた。
「ここか?」
「……覚えていませんね……。でもここらでいいでしょう。魔王のそばだと、僕は現存しなくなってしまいますし」
織田信長は焼け跡から骨さえ見つからなかったという。それは骨が残らないほどの炎だったからか、それとも骨が多くどれが織田信長かわからなかったからか。少なくとも、織田信長と一緒にいや薬研藤四郎が焼けて現存しないのであれば、もしかしたら前者なのかもしれない。
「いいのか?」
「魔王に対してよい思いはありませんが、少なくともこの時代の僕は魔王の刀。それを覆すことなど、僕にはできませんよ」
宗三左文字はそういうと、刀掛けにこの時代の刀身を置いた。燃えたらすぐに消えてしまいそうな、木でできた刀掛けに。
「行きましょう。……時間遡行軍の目的、もしかすると、」
「ああ。ったく、鶴丸の旦那、たぶん気づいているか」



「___何奴よ。蘭丸には誰も通すなといったはずだが」
「________」
「……ほう。わしに刃を向けるか。雑兵にやる命はないが」
「________」
「ぐっ、目的は、それ、か」
「________」
「わしも、打ち取った際にいくつもの刀を手に入れてきたが……この時において、奪われる立場に、なるとは、な」



火に包まれ始めた本能寺内部にて、2つの足音が2か所で響いていた。迷いのない足取りは、まるでこの本能寺の内部を把握しているかのようで。先陣を走っていた短刀はそれぞれ2つの曲がり角が見えたところで速度を緩めた。追いついた打刀もそれでようやく、短刀が気が付いていた存在に気が付いた。
「ようやく合流か。」
「貴様ら、何をしていた。落ちあうこともせずに」
「こちらは偵察で桂川まで出ていましたので。当日のうちにこちらに戻るのは不可能ですよ」
へし切長谷部の問いに宗三左文字はさらりと述べた。実際、刀剣男士といえど人間が一晩かけて進む道のりを数刻で行って戻ってくるのは少々骨が折れる。
「今はそういう話してる場合じゃないって!」
打刀の会話に不動行光が間にはいる。その表情は少々焦っているようにも見えた。
「不動、織田信長のところまであとどのくらいだ?」
「え、たぶんもうすぐ蘭丸が戦ったところにつくから……」
「もうすぐだな。敵さんがでなけりゃ、な」
へし切長谷部の言葉に不動行光は自信のない声を出した。それをフォローするかのように薬研藤四郎が言葉を紡ぐ
もうすぐか、とへし切長谷部はつぶやき、織田信長がいるであろう方向を眺めた。
「あの2振がいないのも気になるが、時間遡行軍の望むままにするのも癪だ。」
「行きますか?魔王のところへ」
宗三左文字がそういえば、へし切長谷部はうなずいた。そうして、2振は刀を抜いた。
「不動行光。俺たちは織田信長のもとへ行く。貴様はどうする」
「え……そりゃもちろん、一緒についていくけど……」
「不動、今回の編成。おかしいとおもいませんか?」
「えぇ?」
宗三左文字は不動行光へと向き合ってそういった。不動行光の戸惑う言葉を気にした様子もなく、宗三は言葉を紡いでいく。
「あなたがきたとき、すでに戦力は整っていました。無論、新しい刀剣が増えるのは喜ばしいころでしたが、すでにこの本丸の形はすでに出来上がっていた。」
宗三左文字が思い出すのは、本丸の中心人物となった12振の刀剣だ。薬研藤四郎や宗三左文字が本丸に来た頃はまだ本丸が稼働して間もないこともあり、初期刀を中心に試行錯誤しながらの日々だった。それがいつしか、第1部隊、第2部隊と固定化され、その刀剣たちが本丸の運営を担うようになった。今回、この部隊に合流した鶴丸国永と燭台切光忠はその第1部隊の刀剣男士だ。当時は第1・2部隊が中心に戦場に出ていたがいつしか彼らは練度の上限をきっかけに戦場ではなく本丸の運営に注力することとなった。そのため、現在はそれ以外の刀剣が戦場に赴くことが多くなっていた。そう、戦場に出ることはほとんどなくなっていた。
「なぜ今回、第1部隊から、しかも2振が出陣することになったのでしょう。そして、なぜこの本能寺に、わざと魔王と関連のある僕たちを送ったのか」
「わ、わかんないよ。薬研とだったらともかく、宗三たちと部隊を組むことだってほとんどないのに」
「それです。」
「は?」
「短刀は室内はもちろんですが夜戦に適している。逆に太刀は日中の野戦に。双方に適している打刀はともかく、短刀と太刀を同じ部隊に入れることはあまりありません。ただの付き添いであれば、第2部隊の短刀や脇差を入れればよかったんです」
なのに、なぜこんな編成なのでしょうか。宗三左文字の淡々としたその言葉をへし切長谷部が引きついだ。
「燭台切は口を割らなかったが。おそらく、“織田の刀でなければいけない”んだ」
「織田の刀じゃないといけない?」
「……おそらく。そしてその答えはきっと、」



「おかしいですね」
「なにがだ」
宗三左文字の言葉に、へし切長谷部は不機嫌ながら答えた。独り言です、と宗三左文字はいいながらも続けた。
「だいぶ時間遡行軍は倒しましたが、目的が“あれ”ならもう1振くらい出てきてもおかしくないと思うのですが」
あれ、というのは今回の時間遡行軍の目的だ。鶴丸国永は今回、詳細を語りはしなかったが、とある現場をみた薬研藤四郎と宗三左文字はある程度検討がついていた。へし切長谷部も、裏はあるだろうとは思っていたが、それがなんなのかまでは見当はついていなかった。
「薬研は魔王が、不動は森蘭丸が持っている。狙うとしたら死後、ですかね」
「……ああ、そういうことか。すでに1振は済みか」
「ええ。おそらく元の場所に戻せたと思いますよ。具体的な場所は覚えていませんが」
数は打ち止めなのか、徐々に減ってきた時間遡行軍を倒しながら、先導を走る短刀2振を追いかける。まずは織田信長のもとへ。時間遡行軍の本命がどうであれ、本能寺の変が史実通りに進まなければ意味がない。まずは織田信長の死を確認しておかなければいけない。
「へし切長谷部、当時は圧切御刀、でしたか。すでにここにはいませんでしたね」
「……ああ。俺はすでに黒田家へと下げ渡されている」
織田信長は数多くの名刀を持っていたが、それを家臣や子供らに褒美として渡すことも少なくなった。不動行光も、へし切長谷部も。刀剣男士として顕現していない粟田口も正宗も、織田信長から他の者へと渡っていった。この本能寺の変を体験した刀剣は、いったいどのくらいいたのだろうか。長い歴史の中で、その史実は失われている。明らかになっているものもあれば、憶測の域を出ないものもある。刀剣男士として顕現すればもしかしたらわかるのかもしれないが、記憶をなくしていたり、朧気だったりすることもあり、すべてが解明されることはないのだろう。鶴丸国永が織田信長のところに来たのだって、その理由も経緯もまったくわかっていない。本人も気にしてすらいないので、やはりこちらも明らかにはならないだろう。
「この場に、いたかったと思ったことはありますか」
「……命名までしておきながら、直臣でもない奴に下げ渡すやつの元にいたいなどと?」
「ええ。あなたは忠誠がすぎますからね。いくら口ではそういいながらも、本心はどうか……」
「そういう宗三はどうなんだ。織田信長に対して考えがあるのは貴様もだろう」
へし切長谷部の言葉に、宗三左文字は気にする様子もなく、そうですね、とうなずいた。
「僕がここで燃えるのは、すでに決まっていること。今更、どうしたいとは思いませんよ」
「なら、同じ言葉を返す。いくら俺がどう思おうと、織田信長から黒田官兵衛へと下げ渡されたのは変えようのない事実。……俺がどう思おうがな」
そういうと、へし切長谷部は速度を速めた。打刀の中では機動が早いとされる刀剣だ。なのにそこまで早くない宗三左文字に合わせていたのは、一応同じ部隊であるという意識からか。
「……今はそういうことにしておきましょう。素直じゃない刀ですね」
___最後まで、主に使われたかったといえばいいのに。
宗三左文字は織田信長が死ぬまで、織田信長の刀だった。宗三左文字が彼をどう思おうとも。逆にへし切長谷部は、下げ渡され、織田信長が死んだときには黒田の刀だった。さて、どちらが幸せなのだろうか。



「この刀は……まさか、もうすでに」
森蘭丸は燃える本能寺の一角で、本来手にするはずのない刀を手に入れた。渡してきたものは、笠をしたまま首を垂れる。それが、森蘭丸が考えことが真実であると訴えるかのようなしぐさだった。
森蘭丸はいまだ織田信長の元へとたどり着けてはいなかった。それはこれまで敵兵がその行く手を遮ってきたこと、そして本人が自覚していないほど、血を流しすぎた。普段であれば数分もすればたどり着ける場所が、ひどく遠かった。
「なら、ば。上様の御心を、ここで途絶えさせるわけにはいかない……。」
御身がなくとも、せめて御心だけは。織田信長という存在を、継ぐ者へとなんとしてでも。
森蘭丸は織田信長の御身がすでに失われたと解釈した。本来であれば自分の眼で確かめにいくであろうことを、この場で出会ったばかりの、味方かもわからないものの言い分を信じた。それがすでに、森蘭丸が限界を超えていたという証だ。思考もままならない状態で、人を動かすのはひどく簡単だと、物の怪は、時間遡行軍はにやりと笑った。
「いやはや。こういう現場に俺がたちあってしまうとはなぁ」
森蘭丸が刀を手にいれ、織田信長の元へと行くのをあきらめたとき、しゃらん、と鎖が鳴った。



「ついたぜ」
本能寺の奥の一室。そこまできて戦闘を走っていた薬研藤四郎と不動行光は足をとめた。それを追いかける形でへし切長谷部、宗三左文字がたどり着く。少しはなれた場所では相変わらず騒音が聞こえるが、ここだけがひどく静かな状況だ。
「時間遡行軍もいない。問題はなさそうだが……」
周囲を見回すも、敵兵はいない。時間遡行軍も、正史の敵も、ここには気配すらなかった。否、この場所の気配は1つだけ。刀剣男士のそばにある襖の先にいる織田信長のみだ。
「……うん?」
そしてその気配に違和感を持ったものがあった。薬研藤四郎は襖の隙間から、そっと中を窺って、そうして襖を開いた。その一瞬の動きを、打刀2振も、そして同じ短刀である不動行光も止められなかった。
襖の向こうに、座した織田信長がいた。伏せていた目が開かれ、視線が薬研藤四郎と交わった。襖の影に隠れていてちょうど織田信長の視線上に残りの3振は映らない。ずかずかと歩み寄る薬研藤四郎を見て、織田信長は眉を寄せた。
「何奴よ。」
「信長さん。あんたの懐刀はどこだ?」
薬研藤四郎の言葉の意図に、すぐに気が付いたのは宗三左文字だった。つい先ほど、この時代の本来の刀が時間遡行軍に渡っていた。それと同じことがいまこの時にも起こっている。おそらくこの時代の自分が織田信長の元にいないという違和感を、薬研藤四郎は感じたのだろう。だがここまでの道のりで出会い、切り伏せた敵の中に、薬研藤四郎を持ったものはいなかった。
「すでにこの手にはない。わしの命ではなく、刀をとられるとはな。」
織田信長はそういうと、ゆっくり口角を上げた。そうして、薬研藤四郎を見て、そして腰に刺さった短刀へと目を向けた。
「しかし、こうして舞い戻った」
その言葉で薬研藤四郎は己に手をかけた。確かに、この時代では薬研藤四郎は織田信長の刀だ。しかし、今この身はそうではない。だがそれを、織田信長に言うわけにもいかない。この時代にある薬研藤四郎は、本来1振しかないのだ。
「わしの死後、それをどうしようが勝手よ。だが、今はこの手に」
その言葉で、薬研藤四郎はすこし戸惑いをみせた。実際、これは織田信長の知る薬研藤四郎ではないのだ。
一方、襖や壁に隠れた3振は薬研藤四郎の動きを見ていた。薬研藤四郎がどう動いても対応できるように。
「……薬研藤四郎の逸話は知っているか?」
「無論よ。だからこそ懐刀にした。だが、今回ばかりはその逸話を破ってもらわねばならぬ」
薬研藤四郎は自身の刀身を鞘より抜いた。外から差し込む炎の光が、刀身に吸い込まれるように光った。それを眺め、再度鞘へとしまうと、数歩、織田信長へと近づいた。かちりと、後方で刀が鳴るのを薬研藤四郎は聞いた。それでいいと、心の中で思う。鞘ごと自身を取り出し、ずいっと目の前へと突き出した。
織田信長はその刀を手に取り、そうして鞘より刀身を抜いた。刀身を眺め、やはり、とつぶやく。しかしその内容までは語ることはなく。
「あんたはここで死ぬのか」
「ああ。この首、光秀には荷が重いだろうよ。そして、そなたらにも」
「……」
織田信長はそういうと、薬研藤四郎の刀身を、その腹へとあてがった。
「そなたらのことは知らんが、どこか懐かしい感じがする。」
「それは」
「迷信など信じぬがな。そなたらは、……いや、最期に話すことでもないか。黄泉の伴を、頼むぞ」
最期の突きを、薬研藤四郎はただ見つめていた。柄まで通ったそれは、案外あっさりと、1人の命を奪った。多少誤差はあれど、織田信長は薬研藤四郎をもって自害をした。そしてこの後、炎の中へと消えてゆく。
「信長、さま」
「……織田信長の存命は阻止した。だが」
襖の影から、不動行光が織田信長へと駆け寄った。すでにこと切れたそれをみて、不動行光はぐっとこぶしを握った。
「薬研、ぬぐうものは持っていますか」
「ああ。問題ない」
薬研藤四郎もまた織田信長へと近寄り、手元に残された己を手に取った。刀が故、血に濡れることはあるが元とはいえ自分の主の血で汚れるのはあまり良いとは言えない。それもまた、役目であるとは理解しているが。
「不動、そこで止まるわけにはいかないぞ。歴史は正しくなければならない。」
「わかってる!わかってる、けど」
不動行光は深い息を吐くと、目に焼き付けるように元の主を見つめた。薬研藤四郎もまた同じように見つめ、そうして背を向けた。
「さて、もうひとふんばり、ですかね」
「いや、これで終了だ。」
宗三左文字の言葉に対し、この場にいない声が響いた。薬研藤四郎と不動行光が一足先にある方向へと目を向ける。織田信長が自害した部屋。それの、4振がはいったところとは別の方向の襖があいた。そこにはこの部隊の指揮を執る、はずであった鶴丸国永と燭台切光忠の姿があった。
「いやぁ、さすがに太刀で室内戦は無理があるな!」
「はいはい。長谷部くんたちもお疲れ様。怪我はない?」
「これで終わりとはどういうことだ。まだ」
「薬研藤四郎、だろ。ここにある。」
鶴丸国永はそういって、手元にあった薬研藤四郎を表に出す。この時代の、薬研藤四郎だ。
「どこにあったんだ?」
「森蘭丸が所有していた。時間遡行軍が織田信長から盗んで渡したようだな」
「蘭丸!?」
不動行光が声を上げるが、鶴丸国永が手をあげてそれを制した。
「炎にのまれないうちに撤退する。……残念だが、黄泉の伴に俺たちの本丸の薬研をあてがうわけにはいかなくてな」
そういいながらこと切れた織田信長の手元へと、鞘から抜いた刀身を置いた。
「……」
「さあ撤退だ!」

織田信長は本能寺の変にて死去。その遺体は焼け跡から発見されることはなかった。焼け跡から宗三左文字は発見され、豊臣秀吉の元へと渡り、現代まで現存する。不動行光もまた焼身となったがその後小田原家へ伝来する。薬研藤四郎もまた、豊臣秀吉へと渡ったという話もあるが、結果として現存していない。故に本能寺で焼失したという話もあるが、どちらが真実であるかは定かではない。



「薬研藤四郎だ。入るぜ」
明くる日。薬研藤四郎は近侍の部屋を訪れた。中からの返事を待って、襖を開ける。部屋の中に近侍しかいないことを確認して、薬研藤四郎は部屋の中へと入り、襖を閉めた。近侍は薬研藤四郎に座るように声をかけた。それに従うように座れば、近くの机に置かれた菓子を差し出された。どうやら今日のお八つらしい。遠慮なく1つ拝借し、薬研藤四郎は近侍へと向き直った。
「先日の話、受けようと思う」
「いいのか」
薬研藤四郎の言葉に、近侍は特に驚くこともなく、普段と同じ声の音色で口を開いた。
「この本丸がどういうところかは知っているだろう」
「ああ。俺も古参だしな。だからこそだ。俺の力、この本丸のために。」
「……わかった。いつになるかは、追って連絡する」
近侍はそういうと、手元にあった紙になにかを書き込んだ。その紙が、どういったものか薬研藤四郎は知らない。
「それじゃ、俺はこれで失礼するぜ」
菓子を口の中に放り込んで、薬研藤四郎は立ち上がった。そうして近侍へ背を向けたとき、近侍が声をかけた。
「明日から第2部隊に加わってくれ」
その言葉に、思わず薬研藤四郎は振り返った。第2部隊とは言えば夜戦を中心に活動する部隊であると同時に、この本丸の中心といっても過言ではない部隊だ。薬研藤四郎はいままで第2部隊の面々と戦場を駆けたことはあっても第2部隊所属ではなかった。
「それは」
「もともと、決めていた。あの話を受けてくれた刀剣を第2部隊に加えると。」
近侍はそういうと立ち上がっている薬研藤四郎の顔を見るために顔を上げた。被った布の間から見える緑の瞳が薬研藤四郎をじっと見つめた。
「したがって、くれるか」
「……ああ。この俺でよければ」
薬研藤四郎のその言葉に、近侍はそっと息を吐いた。

「何の話してたんだよぉ」
薬研藤四郎が近侍の部屋から出ると、そこから少し離れたところに不動行光が見えた。薬研藤四郎を待っていたのだろう。部屋から出た瞬間に声がかかった。
「ちとな。不動こそどうした」
「……大丈夫なのか?」
不動行光はそういって薬研藤四郎の顔を見た。その声色は純粋に薬研藤四郎を心配するものだった。おそらく、不動行光はあの任務でのことを話しているのだろう。元とはいえ主を、今の自分が切るなんて、人の身を得てしまった今ではひどく心が痛む出来事だ。
「ああ。大丈夫だ。不動は?」
「お、俺も、平気だ。蘭丸と会っても、いないし……」
不動行光のその言葉を聞いて、薬研藤四郎は近づいて肩を抱いた。それに驚いた不動行光が甘酒をこぼしそうになって慌てた声を出した。
「薬研!」
「ははは。今日は非番か?さっき近侍殿のところに菓子があってな。食堂にもあるだろうし食べに行こうぜ」
「わ、わかったから離せって!」


2020/5/19

副題:当本丸で本能寺の変改変阻止に挑むとしたらどうなるか
無茶苦茶な難産でした。ちょうど3か月かかってます



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